【戦後70年】地雷を手にする女子挺身隊像の信楽焼、地元と戦争の関わり伝える語り部に 滋賀

 信楽焼の産地・甲賀市信楽町に、陶製の地雷を手に持つ割烹着姿の女性をかたどった小さな像が残されている。戦時中、陶製の地雷や手榴弾などの製造に従事していた「女子挺身隊」をモデルに制作されたとみられており、専門家は「地元と戦争の関わりを伝える『語り部』になり得る」と期待している。

 この像は信楽焼の陶製で、着物ともんぺを身に着けて割烹着を羽織り、両手で円筒形の地雷を持っている。高さ約30センチ。

 裏側には、「昭和乙酉」「信楽神山 女子挺身隊」「0番 兵器製作為」と刻まれている。「昭和乙酉」は昭和20年を意味する干支の表記で、「神山」は当時、兵器工場のあった信楽町神山地区のこと。「0番」は「地雷」を意味する符号だったという。

 陶製地雷は、第二次大戦末期、金属資源の欠乏を補うとともに探知されにくい「新兵器」として開発され、全国の主要な窯業地で製造された。

 信楽町神山地区にあった兵器工場「国富産業」では19年ごろから、手榴弾などとともに製造が始まったとみられる。若い男性の多くが出征していたため、主な労働力は女子学生らの「女子挺身隊」だった。

 この女子像を所有しているのは、自身も当時地雷生産に従事していた元陶芸家の水野靖弘さん(86)=同市信楽町神山。北村さんによると、像を作ったのはおじで、学校教諭を務めたほか、陶器生産の技術指導者でもあったという。陶製地雷製造の指導に当たった女子挺身隊員をモデルに制作したとみられる。

 陶製兵器製造の歴史に詳しい立命館大大学院文学研究科の木立雅教授(民俗考古学)は「女子挺身隊員たちの様子をはじめ、信楽の地で陶製地雷などの兵器が製造されていた当時の状況を今に伝える極めて貴重な資料だ」と話している。