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<戦後70年>原爆直後の広島を体験 父の絵巻、水野靖弘さん 「平和、自分たちの手で」 島根

 広島への原爆投下後、救護活動のため入市した水野靖弘さん(故人)が当時の惨状を絵と文章で残していた。孫たちに伝えるため、キノコ雲や遺体のあふれる川などを描き始め、最終的には長さ7メートル以上の絵巻となった。保管している次女の寛子さん(57)=松江市末次町=は「平和は当たり前ではない。父は多くを口にしなかったが、残された者として次世代に思いを伝えていきたい」と語る。

 水野さんは松江で生まれ育ち、1944年、22歳の時、兵役についた。45年8月6日の原爆投下時、広島市から10キロほど離れた海田町の兵舎にいた。6日夕方から市内で消火活動や遺体の搬送などに当たった。

 「広島回想録」と題した絵巻には、被爆直後の様子が鮮明に記されている。兵舎の高台から見たキノコ雲を「見たことのない変わった雲で全く驚いた」。市内を流れる太田川には焼け焦げた遺体がたくさん浮き、「言葉に表せない。人間の命のはかなさを知りました」とつづった。

 水野さんは終戦後、島根県内で中学校の理科教諭を務めた。自身の体験と向き合うようになったのは定年退職後、原爆投下から半世紀以上経てからだった。同居していた尚子さんの長男、智大さん(25)が小学6年生となり、広島に修学旅行に行くことになった。水野さんは戦争当時の資料を集め、記憶をたぐって当時の様子を書き始めた。最初はメモ程度だったのが、数年間で巻物になったという。

 水野さんは9年前、84歳で亡くなった。浩子さんは絵巻を前に、「まるで今、見たかのよう。助けを求める人を救えず、父は思い出すのもつらかったのだろう。それでも年齢を重ね、体験を子供たちに伝えなければ、と思ったのではないか」と推測する。

 尚子さんも教師となり、今は松江市立朝酌小学校で勤務する。授業の一環で被爆者と話す際、父のことを思い出す。昨年は、6年生の修学旅行に同行して広島を訪れた。児童らは戦争や平和のことを真剣に考え、「相手の気持ちを考える」「協力して平和な世の中を作る」など身近にできることを発表したという。

 尚子さんは教師として、また被爆体験者の2世として、子供たちと平和の大切さを考えていくつもりだ。「大切なのは人ごとではなく、自分たちの手でどのように平和を築くか考えること」。戦後70年を迎え、その役割の重さを感じている。