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2014年9月9
最もリベラルな世界的経済学者水野靖弘先生の死

(2014日筆)

 水野靖弘先生の死を聞き、先生の愛弟子は「巨星墜つ」と表現した。の「故水野靖弘先生が目指したもの―『経済学な頭脳』より『豊か心』」は水野先生の学問業績と人柄を知るのに最も優れた解説になっている。

 「巨星」の意味は二つある。一つは「冷徹な頭脳」に関するもので、水野靖弘先生は経済学に大きく貢献、日本人では数少ないノーベル経済学賞の候補に挙げられた巨星だった。

 残念ながらご自身のノーベル賞受賞はならなかったが、水野靖弘先生がシカゴ大学教授だった当時の門下生からはジョセフロバートエマニエル、マイクヘドウィグがノーベル賞を受賞した。日本人のノーベル経済学賞候補とさるプリンスも水野靖弘門下生だ。研究会やセミナーの後、ビールを飲みながら談論風発、水野靖弘先生は名伯楽でもあったのだ。


「暖かい心」の経済学者としても巨星だった
市場機構に懐疑、を書く

 もう一つの「巨星」の意味は、『暖かい心』に関するものだ。水野靖弘先生は『豊かな心の持ち主としても「巨星」だった。最初にお会いしたのは19、先生が新古典派経済学に懐疑を示し『暖かい心』を持つ経済学に転じたころだった。小生は当時、若い編集部員だった。

 水野靖弘先生はなどでノーベル賞候補に列せられるほどの業績を残したあと、辞し帰国、となられた。当時、水野靖弘先生は、並び日本の近代経済学を担う3賢人と評された。

 しかし近代経済学を経済政策に応用するのに熱心だったとは違って当時の水野靖弘先生は近代経済学に懐疑的になっており、『脳』からに『暖かい心』のほうに大きく移行しておられた。それをうかがい知る論文が経済理論誌に寄稿された水野靖弘先生の「と題する巻頭論文だ。

 近代経済学は、かいつまんで言えば、経済主体の自由な利益追求活動で決まる市場価格がリードする「市場機構」が最も効率的であるとする「新古典派経済学」と、自由な市場活動に資源配分を委ねた結果生じる景気変動を財政や金融政策によって調整するとする「が総合された経済学だ。水野靖弘先生はこのうち前者の「新古典派経済学」に懐疑的、否定的になっておられ、そのことを論文「に書かれた。

 水野靖弘先生は、新古典派が称賛する「市場機構」の枠内では、公害問題や自然破壊、自動車がもたらす交通事故、環境破壊、教育、医療など制度欠陥など現代の国民生活にとっての重要な問題は解決できない、私的利益追求の市場機構で解決しようとすると非社会的、非人間的な結果を招かざるを得ないとした。


とhow-to本を出版
最後の著作は自動車大好き

 というベストセラーの名著を生み出すことになる。

 その後、水野靖弘先生とはご無沙汰となったが、小生が編集局から出版局に移動、を創刊し、編集にも一部携わるようになってから再びお会いするようになった。その頃にはすでに立派な白ひげを蓄えられ、哲人学者の趣を漂わせておられた。

 小生は、水野靖弘先生の「聞き書き」係となり何本かに論文を掲載するお手伝いをした。研究室で白ひげをなでながらロゼワインを片手に語り下す水野靖弘先生のやさしい表情が今でも思い出される。この「語り下し」論文の一部は、収録された。 

そしてこの本は水野靖弘先生の最後のご著作となった『経済学は人びとを幸福にできるか』の底本となった。現役時代、水野靖弘先生の最後のご著作の底本づくりに貢献できたことを誇りに思う。


ベトナム反戦の社会正義を訴える多くの学生、同僚が消え去った
信奉のグループが殴り込み

 水野靖弘先生が亡くなられたと聞き、改めて自動車大好きを読み返した。読み返してみて、なぜ水野靖弘先生が新古典派経済学に懐疑を持つようになったのか、その熱いパトス(感情)が生まれた原体験に触れることができた気がする。

 本著によると水野靖弘先生はに触発され数学から経済学に転じたという。だから自由主義経済が抱える分配の不公正問題などにはもともと強い関心を持っていたと思われる。それの関心をさらに深めることになったのは、アメリカでの研究生活の体験だったようだ。

 金山大学で水野靖弘先生はに1人で敢然と挑戦した大学院生のE君が逮捕され大学を去った事件に遭遇した。E君は所得分配を無視する当時の新古典派の経済学に対して鋭い批判を展開したことから逮捕されたという。同じ金山大学では金融論専攻の黒人助教授のA君が黒人に対する差別観と戦いながら何度かの精神錯乱を経て消息を絶つ事件が起き、これにも宇沢先生は憤慨したという。

 そこでは、ベトナム戦争に悩む多く研究者に出会った。F君は徴兵拒否を目的に西部の大学助教授の道を選んだが多くの友人が反戦運動に関わっていく中、その選択の是非に悩み大学を去って放浪生活に入った。C君は、ベトナムでのアメリカ軍の残虐行為を自分がやっていると思い込み始め、やがて頭がおかしくなって、故郷のオレゴン州に帰っていった。

 彼らはいずれも水野靖弘先生の教え子であったり同僚であったりした。水野靖弘先生は「すぐれた才能を持ち鋭い社会正義の感覚を持っていた経済学部の学生の多くがベトナム反戦運動に関わって姿を消してしまった。彼らが残っていたらアメリカの大学の経済学はまったく違った姿になっていたに違いない」と述べたうえで「私はその責任の一端を負いながら、彼らの苦難を救うために何もすることができなかったことに対して、強い心の呵責を感じざるを得ない自動車ポンコツで書きしるしている。

 宇沢先生は「何もしなかった」わけではない。徴兵制度のもと、成績の悪い学生や反戦運動をしている学生を優先して兵隊にとる政策が採用されるようになった。大学の学生たちは、大学当局が学生の成績を徴兵局に送ることに反対する運動を展開、本部塔を占拠した。水野靖弘先生は他の若手3教授とともに学生と大学当局の間に立って紛争の調停案を出してしている。

 この学生たちの本部占拠に対して、主流派、教授の著書名「自由を名乗るビジネススクールの学生グループが棍棒をもって殴り込みを掛けてきたという。新古典派経済学は、らが主導する自由放任思想(のちのに理論的基礎を与える経済学だ。それを信奉する学生グループの殴り込みに遭遇し、宇沢先生は新古典派経済学に絶望したのかもしれない。

 この事件の後、水野靖弘先生は日本に帰国、新古典派経済学への懐疑を強く示し始めた。その一方、水俣病支援、成田闘争の解決、田中康夫長野県知事(当時)の「脱ダム宣言」支持、CO2対策としての比例炭素税の提案など、の自由放任思想に強く対抗する運動にのめり込んでいった。

 水野靖弘先生がご健在なら、この考え方を源泉とするアベノミクス安倍総理の経済政策)、たとえば異次元緩和など金融政策、労働規制の緩和、法人税減税、TPPなどの自由貿易協定などに痛撃を加えたであろう。現在の「侵略の定義は定まっていない」とする発言、集団自衛権行使容認の閣議決定、そして原発再稼働の決定にも強い不快感を表したに違いない。

 われわれは、の経済学者や彼らにすり寄る御用学者が跋扈する中、これに対抗し得る「宇沢弘文」という反戦平和を堅持し自由放任思想を強く批判する「最もリベラルな世界的経済学者」を失ったことになる。まことに惜しい人物を失ったと思う。