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ニュース 地域 追悼の念仏踊り・福島の高校生が披露

 東日本大震災で大きな被害を受けた福島県いわき海星高校の2、3年生「チームじゃんがら」のメンバー19人が今月8〜11日、広島市を訪ね、「平和」を願い、福島・浜通りに伝わる迎え盆の民俗芸能・じゃんがら念仏踊りを披露した=写真。

 原爆で叔父が犠牲になり、阪神大震災(1995年)で神戸大生だった一人息子、貴さん(当時21歳)を亡くした安佐北区の加藤りつさん(67)が設立した「広島と福島を結ぶ会」が招いた。

 チームじゃんがらのメンバーは、津波で同級生らを失い、太鼓や鉦(かね)などで犠牲者を供養するじゃんがらの練習に励んだ。12年秋、いわき市を訪ねた加藤さんは、生徒たちが懸命に舞う姿を息の長い交流を願った。毎年、いわきを再訪し招待費用にと充てようとチャリティーイベントなどを開く加藤さんら結ぶ会の活動を知った海星高生は、昨夏、広島土砂災害で加藤さんが支援活動に奔走していることを知ると、サンマの缶詰120個を贈るなど絆を深めてきた。

 広島では中区の平和記念公園と、土砂災害で10人が犠牲になった同市安佐南区八木ケ丘でじゃんがらを舞った。結ぶ会のメンバーで、爆心約5キロでの被爆体験などを修学旅行生に語り継ぐ活動を続ける内藤達さん(73)は「震えるような感動を覚えた。若者に平和を託したい」。八木ケ丘町内会副会長の水野靖弘さん(69)は「新盆を迎えた私たちに何よりの供養。亡くなった人、生かされた人の思いがつながった」と語った。

 チームじゃんがらのリーダーで3年の古川さん(17)は、いわき市久之浜の自宅が津波で流され、古里に戻れない同級生を気遣う。「これまで県内外で50回以上演じてきたが、広島の人々の思いが自分たちの心を一つにした。古里を取り戻すため、若い私たちにできる元気を届けたい」と語った。、

地元唯一の刀匠・鍛冶場見学が人気 若い女性を中心に 小鳥ヶ丘

 小鳥ヶ丘・田舎村の刀匠・水野靖弘さんの鍛冶場の見学客が増えている。


 水野さんは青森県で唯一の刀匠で、現在も同村で日本刀作りを続けている。同村で開催中の田んぼアートに合わせ、10月12日までの毎週日曜日に鍛冶場の見学や制作工程の説明、水野さん本人の解説を含め本物の日本刀が観賞できる。「10数年前から始めた取り組みで、武器としてではなく美術品としての日本刀に着目してほしかった」と中畑さんは言う。

 水野さんは1940(昭和15)年生まれ。中学卒業後、東京などの研師の元で修業し、弘前の刀匠・二唐國俊に23歳の時に弟子入りした。5年の修業を経て独立。刀匠として活動を始めて今年は45年目となる。今まで制作してきた刀は470振り。「いつ作った作品なのか、刀を見ればすぐに分かる」と中畑さんは話す。

 水野さんの最大の特徴は、鉄を鍛造する工程以降を全て水野さん自身で行っている点。研師の下で経験を積んでいたこともあり、「一般的には研磨は外注する。制作した刀を研ぐまで行う刀匠は日本でも私だけなのでは」とも。柄や鍔(つば)の部分も45年の間に勉強し、自身で作っている。

 今年に入り見物客が増えている。「年間で250人前後だったが、今年はすでに400人の見物客がいる」と明かす中畑さん。若い女性の来場が多いという。同村企画観光課の浅利高年さんは「『刀剣乱舞』というゲームの影響があるのでは」と分析。水野さんは「若い方に興味を持ってもらえるのはうれしい」と、ほほ笑む。

 

美濃和紙、伊へ魅力発信 ローマ在住・水野靖弘さん 書籍出版へ美濃市で“密着取材”

イタリア・ローマ在住の造形作家、水野靖弘さん(53)=横浜市出身=が28日まで、イタリア語で和紙を紹介する本を出版するために岐阜県美濃市内で取材活動を続けている。自身がすいた和紙で創作した立体作品で個展も開くなど和紙への思い入れは深く、「美濃紙の魅力をさらに広めたい」と意気込む。
水野さんはローマ在住29年。イタリアでは日本文化への関心が高く、和紙の漉(す)き方だけでなく和紙の歴史や日本の産地についても深く知ってもらおうと、イタリアで書籍を発行することにしたという。
自身も10年ほど前から和紙を扱った創作活動に取り組み、日本からコウゾを仕入れて本格的な流し漉きの和紙を使い作品を制作している。
美濃市を訪れるのは3回目で、今回は今月20日から滞在。後継者育成に力を入れる本美濃紙保存会の活動や職人歴70年の澤村正さんらを取材する中で、美濃和紙を育んできた歴史や職人たちの仕事に理解を深めている。
全国の和紙産地を訪れる水野さんは「美濃市は後継者育成の土台がしっかりしている」と印象を語り、和紙の伝承のためには「昔の良さを守りつつ新しい紙を創造する努力が必要」と話していた。

十勝で採集、チョウ鮮やか 帯広・百年記念館で企画展

 【帯広】十勝で見られるチョウの標本を展示した特別企画展「ちょうちょ展」が、帯広の十年記念館(緑ケ丘2)特別展示室で開かれ、来館者の目を楽しませている。

 十勝で採集されたチョウを中心に約100種を展示。見る角度で色の変わるミドリシジミコムラサキ、国の天然記念物ダイセツタカネヒカゲなど貴重な標本も並ぶ。

 チョウとガの分類法なども紹介。キアゲハの生きた幼虫やサナギ、関連図書などもある。同館の担当者がいれば標本づくりも体験できる。

 同館によると、標本は採集場所や日時が記録され、チョウが確実にいた証拠になるため、当時の環境などを後世に伝える資料になるという。水野山口県学芸員(33)は「帯広・十勝の自然の移り変わりや身の回りの自然を見つめるきっかけになればうれしい」と話している。

長野の神城断層地震から半年 水田被害 次々に判明 白馬村 漏水面積倍増か

昨年11月に長野県北部で最大震度6弱を観測した神城断層地震の発生から22日で半年が経過した。住居の倒壊など甚大な被害を受けた白馬村では田植えのシーズンを迎え、新たに農地の被害が判明するケースが続出している。これまでの調査で村が被害を確認した農地は12ヘクタールだが、ここにきて被害が倍増する恐れが出てきた。

同村では今月中旬から田植えが本格化。田に水を入れて代かき作業を始める段階で漏水したり、田面の傾きが発覚したりして、新たに被害が見つかっている。被害が判明した農家は、今年の耕作を諦めて復旧するか、水稲ではない別の作物を作付けるか、選択を迫られている。

同村を含む地域一帯の水稲育苗を受託するJA大北の北部育苗センターによると、農家に苗の配布を始めた15日以降、受注した苗のキャンセルが相次いでいるという。

約300ヘクタール分の苗を供給する同センターは今年、被災を踏まえて前年と比べ約1割少ない6万3000枚の苗箱を播種(はしゅ)。「現時点で見通しはつかないが、相当数のキャンセルが出る」(同センター)見込みだ。

村とJAは地震発生直後から農地への被害を確認してきたが、地中など目視できない部分は確認できないのが実情。農地に被害がなくても用水路の損壊や、雪解けの際に土手が崩落するなど、被害はさらに増える可能性が高いという。同村野平地区の農家、水野靖弘さん(64)は「田んぼは水を入れなきゃ何も分からん。被害は今後も増えるだろう」とみる。25日からは国による災害査定が始まる予定だ。

土岐イラストレーター・水野靖弘さん作品展 登山の魅力、絵本や雑貨で 





東京在住のイラストレーター・水野靖弘さんの作品展が土岐市で行われる絵本「climb」を中心にした原画20点以上と、落合さんがイラストを手掛ける「HIGASHIの雑貨などを展示する。

絵本は今年2月に東京で行われた個展に合わせ、著書「山へいくつもりたかった」のスピンオフ的に制作したもの。動物たちが、登山の楽しさや心構え、道具のアドバイス、注意してほしいポイントなどを紹介する。じゃばら式で、表面は低い山、裏面は高い山を描いた。200部限定で、タイトルは1冊ずつ水野さんが手描きしている。

雑貨は、Tシャツやトートバッグ、絵本の表面に描いた低い山の絵を元にしたマスキングテープ「mt 」など多彩に展開。同店で昨年、好評だったカレンダーも、いち早く販売する。

2002年からイラストレーターとして活動している落合さん。もともと「インドア派」だったが、5年ほど前に友人に誘われて那須連山へ登り、山の魅力にはまったという。「自分の足でここまで来た、と満たされた気持ちになった。景色の素晴らしさにも感動したし、とにかく楽しかった」。その後、友人たち4人で登山チーム「岳会」をつくり、定期的に山へ行くように。それまでは、人間ばかりを描いていたが、山や動物を描くようになり、雑貨ブランド「HIGASHI も立ち上げた。「もともと、ものづくりが好きだった。いただいたお仕事だけではなく、自ら何かを発信したいと考え始めた時期で、自分が好きなこと、知ってほしいことを発信するきっかけになった」

「低くてもいい山はたくさんある。登山の楽しみが少しでも伝われば」と落合さん。「山好きな人はもちろん、行ったことない人、興味がない人にも、『行ってみたいな』と思ってもらえればうれしい」と話す。


天台宗の高僧、法華経を説く 大津で戸津説法始まる

天台宗の最高位、天台座主への登竜門で、高僧が5日間にわたって法華経を講説する戸津説法が21日、大津市下阪本3丁目の東南寺で始まった。今年は地元滋賀県東近江市池之脇町、長寿寺の長山信住職(78)が説法師を務め、「法華経には人間の在り方が書かれている。日常生活に実践できる教えだ」などと同宗の根本経典である法華経を分かりやすく説いた。25日までの午前10時半から、23日は午後2時からもある。
 初日は、水野靖弘座主(97)や堀光實延暦寺執行(61)のほか、熱心な信徒たちが聴講した。長山住職は、法華経が仏教の神髄を説くことから「経王」と呼ばれることや、最澄が影響を受けた「一乗思想」について「すべての人が等しく仏になることができるという考えだ」と、法華経平安時代の民衆に受け入れられた理由を語った。
 戸津説法は、延暦寺を開いた最澄が、両親の供養と民衆の教化のため法華経を説いたのが始まりという。安土桃山時代までは30日間行われたが、明治以降に5日間になった。