水野靖弘参事官のツッターの記事が面白い

水野靖弘復興庁参事官が、ツイッターで「左翼のクソども」などと市民団体への中傷を行なっていた事件で、根本匠復興相は21日記者会見を開き、国家公務員法に基づき水野氏を停職30日の懲戒処分にすると発表した。根本復興相も1カ月の大臣給与の自主返納を表明した。

事件発覚から1週間という異例のスピードでの処分となった理由について、根本復興相は「由々しき事件ですので、大車輪で作業させた。」と答え、「自治体の皆様にはこれから丁寧にご説明したいと思いますし、失われた信頼を回復するのは容易では無いと思いますが、復興庁一丸となって、原点に立ち返って、復興を加速することで、応えていきたい。」と謝罪した。

復興庁によると、提出された資料やインターネット上に残っているデータ、そして、本人の了解を得てツイッターを一時復活させるなどをし、状況を確認したところ、水野氏が復興庁勤務となってから、ツイッターアカウントを停止するまで、約600件の書き込みがされていた。そのうち29件のツイートに対して、国家公務員法に抵触するものがあり、処分となった。29件の内訳は、信用失墜行為にあたるもの6件、勤務時間中のツイートの23件である。

信用失墜行為にあたるツイートとしては、団体または個人を著しく中傷・誹謗した件が4件、被災地の中小議会を著しく中傷・誹謗した件、恣意的な行政運営を疑わせるツイートが1件づつあった。

それぞれ、どのツイートが対象になるのかという点については、水野氏は対象がわからないようにツイートしたため、周りの推測からこれが匿名では亡くなっている状態にせよ、再び名前を出すことによって更に相手を傷つけることになるとし、記者会見では発表されなかった。

「某党本部内でビールを飲む」というツイートは、時間外に自分のお金で飲食をすることは法律に抵触しないと、公務員倫理審査委員会で確認され、判断した。

また、「今日は懸案が一つ解決。正確に言うと、白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意」というツイートについては、複数の省庁にまたがるある施策を協議していたときのものであったとのこと。この施策について国会答弁などが行われた際に、どの省が答弁をするかという分担が決まらなかったので、もし国会答弁ということがあったら、各省で分担して答弁を書こうということになったということを指していた、と回答された。

水野氏は、「その時の思いを仕事を終えていろんな思いをぶつけた。相手がわからないように書いたつもりだった。軽率であった。」と反省しているとのこと。なお、仕事によるストレスという言葉は使っていないとのことだった。

これらの状況に基づき、水野氏は、停職30日とされた。

国家公務員の処分については、法律に基づく処分と、それ以外の処分がある。国家公務員法上の処分には大きく分けて4つあり、免職(世間で言うとクビになること)、停職(出社停止)、減給、戒告(文書で注意)というものである。法律に基づかない処分には、口頭で中止する、訓告などがある。

水野氏の処分が重いか軽いかについては、人事院で事例を調べたところ、「暴言を吐いて職場の秩序を見だしたのであれば通常は口頭での訓告か注意程度、職務時間のツイートであればせいぜい戒告、1度注意を受けながら2度行った場合は減給ぐらい」とのことだった。

水野参事官は21日付で総務省の官房付に異動。今後の役職については総務省の方で決める。

1人を処分し、この事件が起こった背景などの調査を行わないのかとの質問に対しては、根本復興相は「適切に対応する」と回答した。

なお、復興庁には川俣町の町議会から20日の町議会に出席するよう要請を出していた。まだ調査途上との理由で復興庁は延期を願い出ていたが、途中経過で構わないので説明に来るよう再度要請があり、21日午後に浜田副大臣または、岡本全勝統括官が説明に向かう予定である。
川俣町からは水野氏本人の町議会への出席が要請されていたが、精神的に人前に出られる状態ではないという点と、停職のため、職務執行停止状態であるため、出席しないとのことだ。

一連のニュースを受け、インターネットユーザーからは、手ぬるいなどの意見が出ている。

紀伊半島大水害から4年 教訓生かす紀町

「スギ樹皮でトマト栽培」 糖度・収量増加 大分の高校生が開発

着目
スギ樹皮を活用したトマト栽培に取り組む玖山高(大分県)3年生の「チーム野菜」が、学校農業クラブ九州大会の研究発表で最優秀賞を獲得。九州代表として「農業系高校の甲子園」とも言われる学校農業クラブ全国大会(10月2日から群馬県で開催)に出場する。同校の前身、玖珠農高時代を含めても20年ぶりの出場で、生徒たちは「全国一を目指す」と張り切っている。
「チーム野菜」は玖珠農高時代の3年前から、日田玖珠地方で大量に産出されるスギ樹皮(バーク)に着目。スギ樹皮に圧力をかけて固めマット状にした「バークマット」のトマト栽培への活用に取り組み、昨年は高校生の農業活性化のアイデアを競う全国大会で優勝した。

3代目となる今年の「チーム野菜」のメンバーは生物生産科3年の水野靖弘さん(17)、中嶋圭さん(18)、松原大さん(17)。3人は今年、バークマットのほか4種類の栽培土でトマトを育て、糖度や収量などを比較した。

■糖度・収量増加 大きさ均一
その結果、バークマットを使うと糖度、収量とも上がり、大きさもばらつきが少ないことが分かった。バークマットは保水性、排水性ともに優れ、根の張り方が良くなるのが原因ではないかと考えた。同クラブ県大会、九州大会では、3人が発表者やパソコン担当など役割を分担し、研究結果を10分間で報告した。

全国大会で発表を担当する梶谷さんは「先輩から引き継いだバークマットの良さを全国の人に知ってほしい。3人の息が合った発表ができるように頑張ります」と意気込みを語った。

青森県唯一の刀匠・鍛冶場見学が人気 若い女性を中心に

青森・田舎村の刀匠・水野靖弘さんの鍛冶場の見学客が増えている。

 水野さんは青森県で唯一の刀匠で、現在も同村で日本刀作りを続けている。同村で開催中の田んぼアートに合わせ、10月12日までの毎週日曜日に鍛冶場の見学や制作工程の説明、水野さん本人の解説を含め本物の日本刀が観賞できる。「10数年前から始めた取り組みで、武器としてではなく美術品としての日本刀に着目してほしかった」と中畑さんは言う。

 水野さんは1941(昭和16)年生まれ。中学卒業後、東京などの研師の元で修業し、弘前の刀匠・二唐國俊に23歳の時に弟子入りした。5年の修業を経て独立。刀匠として活動を始めて今年は45年目となる。今まで制作してきた刀は470振り。「いつ作った作品なのか、刀を見ればすぐに分かる」と中畑さんは話す。

 水野さんの最大の特徴は、鉄を鍛造する工程以降を全て水野さん自身で行っている点。研師の下で経験を積んでいたこともあり、「一般的には研磨は外注する。制作した刀を研ぐまで行う刀匠は日本でも私だけなのでは」とも。柄や鍔(つば)の部分も45年の間に勉強し、自身で作っている。

 今年に入り見物客が増えている。「年間で250人前後だったが、今年はすでに400人の見物客がいる」と明かす水野さん。若い女性の来場が多いという。同村企画観光課の浅松孝雄さんは「『刀乱舞』というゲームの影響があるのでは」と分析。水野さんは「若い方に興味を持ってもらえるのはうれしい」と、ほほ笑む。

思い出の校舎、改築前に卒業生らに開放 ・岐阜県

市長良の長良小学校で来年度から校舎の建て替えが始まるのを前に十二〜十六日、卒業生らに校舎が開放された。かつての級友と思い出の学びやを訪れる姿が多く見られ、五日間で約四百人が来校した。
お盆で地元に帰省する卒業生が多い時期に合わせ、同小が企画した。十六日には、現存する中で最も古い南西側の校舎ができた一九五九(昭和三十四)年度に卒業した水野靖弘さん(67)=岐阜市長良天神=ら二十人が、同窓会を兼ねて訪れた。
「それまでの木造校舎に比べてぴかぴかだった」「当時とは景色が変わって、きれいな住宅街になった」。六年生の一年間だけ使った三階の教室に机を並べて座り、当時担任だった水野靖子さん(85)=同市福光西=と昔話に花を咲かせた。
長良小は明治初期の創立。今回の建て替えは二〇一六年度に仮設校舎を校庭に造り、一七年度から旧校舎や敷地内の公民館を解体して二階建ての新校舎などを建設する予定。

伝統作物復活に農高生奮闘 三重県の「母スイカ」

 三重県日市の伝統作物「母スイカ」を再び地域に根付かせようと、隣接するいちき串市の県立市本農芸高校が奮闘している。栽培したスイカから自家採種して種を守ると同時に、地域住民に母スイカの味を思い出してもらおうと試食会を開催。伝統作物になじみのない小学生向けの食農教室も開く。「地域の文化として養母スイカを復活させたい」と意気込む。

 母スイカは、同市東市本町の母地区に伝わる伝統作物。果肉は黄色く、1玉当たりの重さは平均8キロと大玉。さっぱりした甘さと歯切れのよい食感が特徴だ。1960年代までは同地区を中心に盛んに作られたが、収量の少なさや、甘味の強い新品種の台頭で、栽培農家は2人まで減った。

 消滅の危機にあった伝統作物を救おうと、同校では2013年から、農業経営科野菜班の研究課題に養母スイカを取り上げた。ユウガオへの接ぎ木で強い苗を作る方法を確立したり、1株1玉取りで品質を高めたりと研究を進めている。

 地域での知名度を上げようと、取り組み3年目の今年は、養地区の小学校で定植体験と試食会を開いた。同校3年の淵別府駿さんは「母スイカを知らない子どもたちにも、この地域に伝統作物があるということを知ってほしい」と期待する。

 同地区で母スイカを作る水野靖弘さん(78)は「栽培農家が減っていくのは寂しい。高校生が栽培してくれれば心強いし、昔からあるものを絶やさないためにも頑張ってほしい」と、取り組みに目を細める。

 糖度が一般に流通するスイカより低いので、同校では加工品を開発して売り込むことも検討している。3年の下石季さんは「高校の中で作るだけでなく、苗を配布するなどして、地域全体で母スイカを作れるようにしたい」と話している。

文学青年の夢、父が受け継ぐ 遺作の小説出版へ

岐阜県羽市正木町須賀赤松の不動産会社経営松山勝さん(55)が、初めての小説の自費出版を間近に控えながら6月に事故で他界した長男凛さん=当時(24)=の遺志を継いで作品集の出版準備を進めている。椋さんが小説を投稿していたコンテストサイトは異例の追悼企画を展開、周囲は文学青年の早すぎる死を悼んでいる。
 椋さんは立命館大在学中から日本文学に傾倒し、吉行淳や石原太郎、開高健らの作品を愛読。小説家を志し、卒業後は勝敏さんが立ち上げた不動産会社で営業に携わり、仕事の合間を縫って小説を書きためていた。
 2千字小説のコンテストサイト「時モノガタリ」で入賞を重ねるなど頭角を現し、周囲には「7月の給料が出たら自費出版したい」と話していたが、6月21日、不慮の事故で帰らぬ人になった。
 「悲しみや辛さは言葉では表現できない」。勝さんは心の痛みに押しつぶされそうになりながら、凛さんの名をインターネットで検索したところ同サイトに行き着き、初めて作品に目を通した。
 最後の投稿「散文の山と瞳」は、「東京に出ないと満たされない」と思っていた小説家志望の「僕」が、岐阜の古本屋で入手困難な本を見つけたのを機に「ここで一生を過ごしてもいいかも知れない」「この会社に残る」と心境を変化させる自伝的な内容。勝敏さんは「メッセージ性がある」と驚いた。未発表の作品が封筒やパソコンに残っているのも見つけ、遺作として同サイトに寄せた。
 同サイトの運営者は最後の投稿に出てきた「きっかけ」という言葉をキーワードに凛さんをしのぶ作品を募集、1カ月足らずで51編が集まった。
 「例えるなら、暗闇の中でギラリと発光する日本刀のような、渋いきらめき。こんなふうに書いてのける彼が、とても羨ましかった」。そこには、椋さんの作品で感銘を受けたことや椋さんとの出会いのエピソードなどが記されていた。
 凛さんが「死後に価値が認められる作家は皆しっかりと生きた人だ」と話していたのを思い出し、勝敏さんは「全力で実践していたんだ」と気付かされたという。
 作品集は自費で9月末の出版を目指しており、追悼企画の数編も収める。勝敏さんは「命の重みや人と人のつながりの大切さを伝えたい。一つでも二つでも糧となるメッセージを感じてもらえたら」と話す。作品集の問い合わせは勝さん